あおぞら動物病院 院長コラム

獣医師が出来るまで

      2015/07/14

獣医師が出来るまで

 

 考にならないとは思いますが、自己紹介もかねてシリーズ(続くかなぁ?)であおぞら院長の経歴をつづってみたいと思います。まずはパートⅠ、幼少期~。

私が生まれたのは千葉県船橋市中野木でした。昭和49年(1974年)生まれです。サラリーマンの父と自営業(喫茶店や食器販売?)の母の間に生まれ、2歳下の妹がいます。

 小学3年生くらいまでは両親が共働きだったので近所の祖父母の家によく預かってもらっていました。小学生の頃はザリガニやカマキリなどの昆虫や金魚やメダカなどいろいろと飼育していました。近くの田んぼや空き地で普通に捕まえられました。今に比べると生物が身近に感じられました。

 昆虫や魚以外にも、ハムスターやウサギ、ウズラや文鳥、手乗りのインコ、カメやイモリなどの水生動物など、両親が許せばありとあらゆるものを飼育していました。オモチャやゲームよりはペットという幼少期でした。小学生低学年では生き物博士と呼ばれていい気になっていました。

 小学生レベルの飼育でしたので、可哀想なことをしたと思います。飼育が中途半端だったために病気にさせてしまったり、病気になっているかもわからずにある日突然死んでいたり。その頃は病気の知識も治療が出来ることもわからず、死に対しての認識もほとんど理解していなかったのかもしれません。

 そんな少年が将来夢描いていたものは動物園の飼育員さんでした。別なものとしてはペットショップの店員さんになれば大好きなペットがいくらでも手に入るので大人になったらペットショップで働くんだと夢見ていました。

 どんなにお願いしても反対されていたのは犬と猫でした。生き物を飼うということがしっかり理解できていない当時の私には確かに危険だったと思います。お年玉を貯めても、誕生日のプレゼントにおねだりしても何があっても反対されていました。

 そんな中、両親が根負けしたのか、父親の友人の家で生まれた雑種犬をいただけることになりました。その当時の喜びといったら、とてもじゃないですが表現できません。大人になった今でも一番の出来事だったかもしれません(…ちょっと大げさでした)。

 名前は『ポチ』でした。あまり考えずにつけたのか、捻ったつもりでつけたのか思い出せませんがとにかくポチに決定しました。柴犬より少し大きいくらいの(ポインターと雑種犬のミックス)犬でした。家の裏庭が小さな竹やぶになっていましたがそこで暮らしていました。1年以上前に作った自作の犬小屋がそこにはありました。今考えると『犬飼えぇ~ ~ ~』と無言の圧力を両親にかけていました。ちょっと嫌な子でしたね。

 ポチの写真を探したのですが、残念ながら見つかりませんでした。30年前は子供が気軽にカメラで撮影できる時代では無かったからかもしれませんが、実は我が家の第1号の愛犬は1歳の冬に亡くなってしまいました。フィラリア症(犬糸状虫症)でした。

 1985年の当時はインターネットはもちろんパソコンや携帯電話もありませんでしたので、ペットの病気といえば飼育本の最後の方にちょこっと解説されているだけでした。

 ポチのいる裏庭は蚊がいつも発生していました。食事を与えるためにちょっと外に出ただけでもあっという間に数箇所刺されましたので、フィラリアの感染は容易に起こったはずです。当時のペットの飼い方は、病気になって自力で治る気配が無かったらいよいよ動物病院に連れて行くという感覚だったのだと思います。予防なんて意識もありませんでしたし、自分の犬が1年もせずに死んでしまうなんて考えることもありませんでした。

 食事も良く食べていましたし、時々咳をしていたので風邪を引いているのだろうと思っていました。中学校に入学する前の春休みに祖母の家に泊まっていたのですが、母親からポチが血を吐いて死んだと連絡がありました。その夜飛んで帰りました。トイレに篭って一晩泣きました。あんな悲しい思いはもう二度としたくないと思います。

 記事のはじめにある画像は、当時獣医師になることを決意した際の未来の自分への手紙です。11歳にして獣医という字が書けないとは情けないですが、1985年につくばの科学万博のイベントで16年後の2001年に届くようになっているタイムカプセルです。すっかり忘れていたものが大学卒業して動物病院で働き始めた時に届いて本当にびっくりしました。

続きはまたの機会に。

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